Vespa125/VNB2

 

Vespa125/VNB2

写真・文:Buono編集部

photo & text by Editing room Buono


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ベスパが市販開始されたのは1946年のことだった。
そこから1950年代中期過ぎまで、映画「ローマの休日」の劇中に見られるような"フロントフェンダー上にちょこんとヘッドライトの乗る"いわゆるフェンダーライトと呼ばれるモデルが主流。
ちなみにフェンダーライトは日本国内での通称であり、世界的には通用しないのだが、そのフェンダーライトが毎年手直しを受けながら継続販売されていった時代である。
当初の2年間……つまり1946年の登場から2年間のベスパは、排気量が98ccで車名が「Vespa98」だった。
それが3年目に排気量を125ccにまで引き上げられ、そこから車名も「Vespa125」とされた。

そんなころランブレッタというライバル出現の影響も少なからずあったと思われるが、レースシーンでの結果が高性能アピールにつながり、それがセールスプロモーションにも直結するとあって、ベスパ生産メーカーのピアッジオ社もレース用マシンを用意してレースへの参戦を開始している。
そうしてフェンダーライトをベースとした「セイジョルニ」というプロダクションレーサーも登場し、その流れをくんだスポーツモデルとして「Vespa150GS」というモデルが1955年にラインナップに加わった。
この「Vespa150GS」はハイエンドに位置するスポーツモデルという位置づけでもあったが、そのすば抜けた高性能ぶりは市販レーサーと言って差し支えないスペックを誇っていた。
なんとわずか150ccでしかないスクーターが最高速100km/hを謳い、当時の日本で「国産スクーターが上っていけないほどの峠道をタンデムで軽々と上がってしまう」という評価だったというから、そのハイスペックぶりは凄まじいものであったと推測できる。

しかしメーカーのセールス戦略上、どうしてもハイエンドスポーツだけに頼るワケにはいかなかっただろうし、気楽に使え用途面的にもオールラウンドにカバーできるベーシックラインを重要と考えるのが自然だと思われる。
そうした結果、125ccという排気量で耐久性と実用性を重視した感のあるモデルを1957年に登場させることになった。
これがVNA1という型式のモデルでフロントフェンダー上のヘッドライトはハンドルマウントとなり、見た目こそずいぶんと印象を変えたが「Vespa125」のモデル名を引き継いでいた。
それでも初期のベスパらしさを感じさせる"丸み"と"ボリューム感"を備えたVNA1は、VNA2、そしてVNBシリーズへとモデルチェンジされ、最終的には1966年のVNB6というモデルまで継続生産された。

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Vespa125/VNB2

さて写真のモデルだが、そんな新生「Vespa125」のなかで1961年のたった1年だけ生産されていたVNB2というモデル。
でもまだレストアを始めたばかりの段階なので、あくまでざっくりと仮組みしただけの状態だったりする。
そしてフェンダーライト時代の「Vespa125」という車両名を受け継ぎつつ、スタンダート的な位置づけの通常モデルとしてベーシックラインを担っていたことはここまでに説明しているが、やはりハイエンドモデルに対する排気量だったりタイヤサイズによって、通常モデルだったりスタンダードと見なされたという部分が大きいような気がする。

じっさいスポーツモデルだった「Vespa150GS」が、速さを身に付けたことに対する操作性や安定性を確保するために10インチホイールへと大径化されたのに対し、通常版となる「Vespa125」では8インチホイールを採用していたワケで、こうしたオーバースペックな装備をあえて採用しなかったことがスタンダード感を強めていた要因だろう。
また大きく丸いお尻がとくに印象的なうえ、タイヤ(ホイール)径の小ささから"可愛らしさ"というベスパらしい最強スペックも搭載している点で初期の流れをしっかりと受け継いでいるとも言えそうだ。

ちなみにVNA時代はフロントフェンダーが1枚であるのに対してVNB時代には2枚合わせのタイプとなっているのが大きな変更点で、これは量産に対応させるための改良だと思われる。
また直前モデルであるVNB1と、このVNB2ではライトスイッチが異なっていて、VNB1の涙滴型からVNB2で四角いレバータイプへと改められていた。
さらにVNB1にはメーター前側の赤いインジケーターがあるのに、VNB2ではそれが廃止され、すっきりとシンプルなメーターまわりへと変更されていた。