VESPA RING 〜The first step〜

 

世界のスクータリストの想いまで載せて

 

メンバー全員の無事と復興への力強い想い。震災後にクラブのホームページを通じ、全世界に向けて宣言してくれたベスパクラブ宮城。そんな彼らがいよいよ活動を開始する。その活動とは「VESPA RING」と命名され、被災した子どもたちの笑顔を取り戻すためのアクションなのだという。

 

メンバーの大半が被災者であるにもかかわらず、復興へ立ち向かう一番の原動力は子どもたちの無垢な笑顔だとして、被災した子どもたちの笑顔を取り戻すためにベスパクラブ宮城が動き出す
メンバーの大半が被災者であるにもかかわらず、復興へ立ち向かう一番の原動力は子どもたちの無垢な笑顔だとして、被災した子どもたちの笑顔を取り戻すためにベスパクラブ宮城が動き出す

ベスパクラブ宮城(以下、VCM)の副代表を務める相澤直哉さん。震災から数日経ったころ、氏への電話取材が実現。そのとき「沿岸部に比べたら僕らの被害はさほどでもないです」という話に衝撃を受けた。受けた被害の大きさは違うかもしれないが、間違いなく被災者であると認識していたから。
さらに氏は続ける。「従兄弟でお坊さんがいるんですけど、七ヶ浜というところにお寺がありまして、お寺は高いところにあったため大丈夫だったということなんですが、まわりはひどい状態で、お寺の本堂を避難所として被災者を受け入れていたんです。しかしお寺に米などの食料は備蓄もあったそうですが、子どもたちの喜ぶようなお菓子などが手に入らないかと相談を受けました。子どもたちの目からも生き抜く希望の光が消えかかっているそうで、アメでもガムでも何でもいいからなにか甘いものを届けてもらえないかと頼まれたんです」……そこで氏はなんとかしたいと考え、お菓子屋などにお願いしにまわる。
事情を理解し快くお菓子を提供してくれたお菓子屋からの協力もあって、氏は避難所へお菓子を届けることができた。届けられた菓子類はボランティアによって七ヶ浜周辺の避難所に配られたそうだ。
氏にも二人のお嬢さんがおり、そのお子さんたちの笑顔があったからこそ職場でも家族に対しても気丈に振る舞うことができたのだと、このことを通して再認識したという。
お菓子を届けたときに子どもたちと直接会えたりはしなかったが、復興への原動力として子どもたちの無垢な笑顔は必要不可欠だと考えるようになった。そしてその子供たちが一番に求めているのは米でも炊き出しのスープでもなく、甘いお菓子であると知らされた。
このことがネットで発信され、支援の動きが広まっていく。同時にVCM代表にクラブとして子どもたちの元にお菓子やおもちゃを届ける活動を提案。この段階ではまだ安否確認ができていないVCMメンバーもいたそうで、集まれるメンバーたちだけではあるが意見が交換されていく。
こうした流れから、今後子どもたちの笑顔を絶やさないための活動もVCMとしてやっていこうということになった。ひとまずはとくに被害の大きかった沿岸部を中心とした子供たちの元へ、ベスパに満載のお菓子とおもちゃを届けようということで決まった。
かつて平和と希望と復興の象徴として第二次世界大戦後のイタリアの街並みを元気に走り回ったベスパをなぞらえ、被災地をベスパで走る。子どもたちの笑顔を取り戻すために。

相澤直哉さん(43歳)/震災直後に職場を飛び出してみたら、職場まで乗ってきていた愛車のVB1は奇跡的に無傷。そのVB1を駆り、VCMメンバーの安否確認のために奔走するなど熱いハートを持つVCM副代表
相澤直哉さん(43歳)/震災直後に職場を飛び出してみたら、職場まで乗ってきていた愛車のVB1は奇跡的に無傷。そのVB1を駆り、VCMメンバーの安否確認のために奔走するなど熱いハートを持つVCM副代表

そうこうすると全国のベスパクラブ員やスクーターリストからの支援がVCMに届けられ、いよいよ計画は現実的になる。
震災直後より世界中のベスパオーナーたちから数多くのお見舞いと激励のメッセージが寄せられ、日本中のベスパを愛する仲間たちがVCMを支えるためにさまざまなボランティア活動を始めてくれていた。
その善意の輪はベスパクラブという枠組みを超えた同じベスパ乗り同士であったり、ベスパには乗っていなくともスクーターを愛する者同士とが手をつなぎ、被災地東日本を救おうという熱いムーブメントとなり、この計画にさまざまなカタチでの支援協力をしてくれている。
VCMの活動は「VESPA RING」と命名され、4月29日(金)に第1弾の計画を実行している。
彼らの愛車であるベスパに跨り、子どもたちの笑顔を取り戻すため。
世界中のスクータリストたちからの想いまで載せて。


※以下は「VESPA RING 〜The first step〜」のようすをスライドショーにしたもの